こんにちはご無沙汰してます。あにーです。もうすっかり冬ですね。
書くと言ってから日が空いてしまいました。本当に申し訳ないです。。
完全に私事ですが先日22歳になりました。誕生日当日は飲み明かしたりしてましたが、後で襲ってくる虚無感といったらなかったです。その後少しして焦燥。なんていうか、年齢を重ねることへの恐れ。僕の周りを見てもそういうこと感じない人はいないようにも見える。漠然としてても将来に期待を抱いてるからそれとのギャップに悩むのでしょうか、それともただ単にaliveである時間の消費自体を嘆くんでしょうか。
ちょっと話が変わりますが、日本人は時間の使い方が下手だってことを聞いたことがあります。それも何回か違う場所で。時間の使い方っていうと1日の過ごし方とかミクロ的なものをイメージしちゃって分かりにくいけど、もう少しマクロ的に、ライフスパンとかそういうので考えてみると確かに違うのかなって思うところはある。
まず僕が思ったのは終身雇用について。以下少し強引な議論かと思いますが続けます。終身雇用ってもう昭和の遺物なのかもしれないけど、新卒で採ってもらった企業で数十年間雇ってもらって、定年まで骨をうずめるっていう感じのもの。社員の企業への奉公心が強くて、同時に雇用も保証されるみたいな。それに対して、欧米なんかでは転職市場も広くて、就業したのち大学院で修士取得なんてことは全然珍しくない。何が言いたいかっていうと、企業入ってそれがゴールみたいな、そんな風潮がまだあるのかなっていうことです(かなり月並みな議論かもしれませんが)。そうやって単純化してみて思うのは、それだと就職してからの、人生のうち半分以上?を占める時間がもったいないなっていうこと。選択の幅が狭いっていうか。
あとちょっと前になるけど学科の授業で、費用便益分析とかに使う、タイムスパンを導入した時の貨幣価値についての利子率ってのの話を聞きました。簡単に説明すると、今もらう1万円と1年後にもらう1万円では誰もが今もらうことを選び(貯金もできるし、1年という選択肢の幅ができる)、そうなれば1年後に貰うときの額について、今もらう1万円と対等になる額というのが1万円以上のいくらかで存在するはずだっていう議論。説明わかりにくいかな。。
でそこで面白かったのは、授業で紹介された、日本とアメリカでその額として想定される値が違ったってこと。アメリカのほうが高かった。実際は金利とかそういう話も絡んでいるのだと思う。でもそのとき僕は少し違った見方でこれについて考えました。この数値の違いはさっきの選択肢の幅っていうことについても、アメリカ人のほうが今お金をもらうことをより重視するってことになるのではないかと思ったのです。
僕はそこで、自己犠牲って言葉を思い浮かべました。自己犠牲って考え方がどれだけ受け入れられるのか、自己犠牲って考え方があったとしてそれが利子率にどれだけ影響するのかはわかりませんが、つまり日本人のほうが今もらう金より未来の金を選ぶ、それはつまり今の自分を犠牲にするということに繋がるのではないかということです。そう考えると確かに、日本では自己犠牲=美徳みたいな考えが、少なくとも海外に比べるとあるような気もしてきます。
さてそういったことを踏まえて、僕は自己犠牲って言葉があまり好きじゃないです。もちろん将来の自分への自己投資って物凄く大事だと思いますが、それは目的意識ってのが大前提で、禁欲的になることそのもの自体に意味があるとは言えないと思うのです。
さてさて最初の議論からだいぶ話が逸れてしまっていますが(もはやまとめるのが不可能とさえ思えるようになってきましたが)、僕が言いたいのは日々ワクワクしながら、楽しみながら過ごしたいっていうこと。それは社会人になってからも。何歳になっても夢を持ち続けてワクワクしながら、楽しさを掴んでいくような人でありたいと思います。好奇心って大事。
翻って僕の生活を見るに、お世辞にもそれが出来ているとは言えないのです。。idpcも本番が近くなってきて仕事はたくさんあるけど、ワクワクする気持ちは忘れたくないなーと思います。あと、付言しておくと、僕は日本のこと大好きです。
まとまったのかな。。それじゃあまた。