LA、SF、ラスベガス、そしてベトナムで夏休みを過ごした結果、MTGに参加できず二か月のブランクのもとようやくiidpc復帰いたしました。二か月も関われず申し訳なかったですども。そして二か月ぶりのMTG、めちゃめちゃ緊張どきゅんしていたことは内緒。えへへ
さて、あけぴく通信今回は旅の記録とそこで考えたことを赤裸々に綴ろうと思います。
まあアメリカではビジネスセミナーのスタッフをしていたのですがそれはおいといて、国際開発というテーマにそって二週間滞在したベトナムのことについてお話します。
ベトナムで何をしたかというと、簡単に言うとですね、アメリカ人カナダ人韓国人フィンランド人日本人ベトナム人とゴキブリとアリとトカゲと共同生活をして、ボランティアによって建てられた小学校で英語を教えてシェルターを建設して、子供と遊んで体力奪われる。というような感じです。えへへざっくりすぎやないかい。
まあまず帰国して思ったことは、日本って素晴らしいということ。やっぱり住み慣れた国が一番心地よい。
美味しいごはんのありがたみ。
虫のいないベッドのありがたみ。
温水シャワーのありがたみ。
清潔なトイレのありがたみ。
日々日常の中で起こる全てのことが愛おしくて大切で仕方ない。そんなことを感じました。
海外に出なければ日常の中に埋もれて気付かなかった幸せに気付けました。ありきたりだけど、本当に。
さて、ではベトナムでの活動についてお話しします。
その訪問した小学校っていうのは、二十年前にボランティアによって建てられ(激手作りで。シェルター建てたけど本当に手作り。土運んで、石運んで、鉄骨塗って建てて、屋根に鉄板載せて。)、家庭の事情で普通の小学校に通うことができない6歳から16歳の子供たちが無料で通えるという学校。
150人以上の生徒数に対して教師はたった四人。たった三つの教室。一クラスにいる子供の年齢はばらばら。子供たちの中には、一日にたった二時間しか学校に通えず、学校の後に家庭の手伝いをしなければならない子供もいるそうです。確かに一日学校にいて、一日中学校にいる子供もいれば、午前しかいない子や午後しかいない子もいる。一つのクラスの中でも、アルファベットすら読めない子供もいれば、ある程度の文法知識を持つ子供もいて、本当に知的レベルは様々。これじゃあ授業に遅れがでる子供がでてくる。けれど教師数が足りないため、その子供たちに対する対処は十分にできない。
日本に帰って友達に夏休みのことを聞かれ、ざっくりとこんなことをしたよと説明しました。「教師数が足りなく、知的レベルの違いを少しでもなくすために現地ボランティアの学生に手伝ってもらいながら子供たちに基礎レベルの英語を教えた」という話に対して、「そんなの現地ボランティアがやればすむ話じゃん。」と言われました。
もちろんそう。私たち海外からきた学生が通訳してもらいながら教えるよりも、英語ベトナム語両方使える現地の学生が教えてしまえば済む。そこに私たちでなければいけな意味はない。
でもね、私は別に「ボランティア」をし行ったわけじゃない。奉仕活動をしに行ったわけじゃない。何かを与えにいったわけじゃない。ただ、好奇心に正直に生きただけ。それだけ。発展途上国に生きる人々がどんな生活をしているのか、子供たちはどんなことを学び、毎日どんなふうに過ごしているのか、ただ、そうした興味を追求しに行っただけ。そこにそれ以上の意味はない。
炎天下の中シャベルを持って鍬を持って、日本じゃ絶対しないような重労働をして、言葉の通じない子供たちと裸足で駆け回って体力ぼろぼろになりながら、冷水しか出ないシャワーを浴びて終わる毎日。わざわざお金を出して疲れることをしに行った私。きっと、その気持ちを理解できない人はたくさんいるでしょうその友達のように。
でも、別に理解してもらわなくたっていい。だって誰かが法律に興味を持っているように、誰かがファッションに興味を持っているように、中国語に興味を持っているように、漫画に興味を持っているように、経済に興味を持っているように、私は国際開発に興味を持っただけ。自分の興味のない分野を勉強する人は、常に理解しがたい。だからこれでいい。
そして私はそんな重労働と引き換えに、たくさんの感情と経験をもらいました。(以下、自分のブログから引用。)
姿を見るたびに笑顔で名前を呼んでくれるなんて初めてで、
こんな細い体を抱きしめたのも初めてで、
たくさんの小さな手を握ったのも初めてで、
かわいすぎて胸が痛くなったのも初めてで、
名前を覚えてくれることがこんなにも嬉しいことだなんて知らなくて、
子供を相手にすることがこんなにも体力がいることだなんて知らなくて、
言葉が通じなくても泣いてしまうほどに愛おしいと思う感情があるなんて知らなかった。
これでもかというほどに、沢山の笑顔をもらった。
もしも笑顔がお金に換算できるとすれば、私は普通の人が一生のうちにもらえる笑顔の何倍も、何倍もの笑顔をもらった。大富豪でも買えないような。
こんなに純粋な笑顔をたくさんもらえたこと。一生の自慢で一生涯の宝物。
私はこの子たちに何かを与えることができただろうか。
私に出会ったことで、生涯の笑顔の数は増えただろうか。
願うことは、私の存在によって、笑顔でいれた時間が少しでも増えますように、ということ。
教えて「あげる」こと、働いて「あげる」こと。
本当に、世の中にただ、して「あげる」なんて存在しないと思った。
私は子供たちに英語を教えた。シェルター建設を手伝った。
でも、その代わりに、たくさんの笑顔と素敵な感情をもらった。
何かをするということは、常に何かを得るということ。
もっと知りたいことが増えた。もっとやりたいことが増えた。
一生、好奇心の塊でいたい。一生、子供から純粋な笑顔を引き出せる大人でいたい。
そんなことを考えた二週間。またひとつ、価値観が増えました。
ベトナムで感じた大切な感情をいつまでもいつまでも忘れたくない。そう思っています。
真面目なブログを綴らせていただきました。
そんなあけぴく、ベトナムからのお土産は、疲れとストレスによる湿疹と、ベトナム人からの愛の告白でした。お茶目さん。
現在,僕は大学4年生でして,今まで典型的なちゃらんぽらんな大学生活を送ってきました。飲んだり,遊んだり,飲んだり,授業に出てみたり,飲んだりetc….
ただ,最近になって周りの人が,就職が決まったり自分も大学院へ進むことを決めたりして,自分の将来について少し真面目に考えるようになりました。その流れで,国際協力に興味を持ち,この団体を通して国際協力について深く考える場を得て,少しずつですが,自分なりの国際協力の形が見えて気がします。
前回のブログでは,「国際協力とはいろんな形があるのでどんな仕事をしていても間接的には国際協力にかかわっているのではないか?」という僕なりの意見を提示しましたが,皆さんはどうお考えでしょうか。
先日、上海出身の友人と話をしていたら、たまたま日本と上海の高校生の違いについて話が飛んだ。どうやら、上海の進学校の高校生にとって、アメリカやヨーロッパの大学に留学することは、「当たり前」のことらしい。(もちろん、全員が全員留学をするわけではないけど)さすが上海、コクサイテキだなあ、って思う一方で、国内の「偏差値表」とにらめっこの日本の高校生のことを考えると、その時点で大きな差がついているのだな、と思わずため息をついてしまった。
国際機関など、開発のフィールドで活躍したいという日本人は数多くいる。しかし、その多くが語学や海外の大学院への留学という大きな壁にぶつかって、断念してしまう。その根本的な原因は、教育にあると思う。
中学・高校・大学と10年前後を語学に費やしているものの、英語でコミュニケーションをとったり、文章を書いたりすることができない。議論の場で、あまり意見を言えない。外国人と接することや外国語で話すことに、なんだかアレルギーがある。こういったことを解決するためには、いろいろな方法があると思うけど、やはり学校教育を含めて、広い意味での「教育」の制度を変える必要があると思う。
そのためには・・・
というのは、また今度♪