こんにちは!
IDPC関東の芝崎文子(しばさきあやこ)です!初めての更新なので自己紹介します。
法政大学人間環境学部の二年生です。国際協力コースに属しています。
わたしは主に、途上国の教育支援、女性のエンパワーメント、差別問題、人身売買などに関心があります。
途上国で暮らす人々が最終的に支援に頼らず持続可能で自立した発展を遂げるためには、何がカギになるのでしょうか。
わたしは教育が最も大事であると思います。そして、女子に対する教育は多くの途上国で軽視されていることを知り、問題意識を持ちました。それだけでなく、女性差別が蔓延していて、様々な形で人権が犯されています。人身売買も女性がターゲットとされやすい深刻な問題のひとつです。
また、人々の心に寄り添った支援が出来るよう、心理学的な視点も持って勉強しています。
毎回これらに関連した記事についてゆるーく書いていくので、同じ関心がある方もない方も読んでいただけたら嬉しいです!
さてさて皆さん、10月11日は何の日だったでしょう??
…国際ガールズ・デ―です!ご存知ですか?
国際ガールズ・デーとは、世界中の女の子たちを力づけるために、2011年12月19日に国連総会で正式に決定された日です。(3月8日に国際女性の日というものもあります)
社会的に脆弱で攻撃を受けやすい立場にある女の子が脅かされている様々な問題に、世界中の人が向きい考える日としてとても意義があるものだと思います。
ちなみに去年のこの日は全身ピンクコーデで登校しました!(笑)
何事も形から入るのは大事ですよねきっと…
今年は、その制定に大きく貢献したプラン・ジャパンさんが10月10日・11日の二日間開催した「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」というイベントに行って参りました。
http://www.plan-japan.org/girl/
10日に「I AM A GIRL」という翻訳されたてホヤホヤの映画を見ました。今後も上映されるそうなので、ネタバレしない程度に感想書きます(笑)
17歳の同い年6人の少女たちのドキュメンタリーですが、それぞれが交わることはなく別々の国で異なった悩みを抱えて生きています。途上国で暮らす子が4人と、先進国の女の子が2人登場します。
続けて見てみると、途上国と先進国では悩みの種類がまるで違って、違う時代のことのようでした。途上国で暮らす少女たちは、貧困ゆえに選択肢がほとんど無く、基本的な人権が守られていないのです。
途上国の中で、女の子の5歳までの生存率と初等教育修了率・識字率は男の子よりも低いそうです。
また教育が絶たれることにより
・文字が読めず、正しい情報が分からない(薬やHIVに関する知識など)
・安定した収入を得る職業につけない
・お金や財産のやりとりで騙されやすい
・正当な権利が分からず、受けることができない
などの問題が生じます。
教育を受けていないまま母親になる彼女たちは、知識不足により子供を育てる際にも支障を来します。そして、教育の重要さを理解していないので子供に教育を受けさせることをせず、母親と同じ道をたどり、貧困の連鎖が続くことでしょう。
とはいえ、誰が一番辛いのか比較することは出来ませんでした。
よく途上国と比較してみて、日本は恵まれていて幸せなんだから というようなことを聞きますが、苦しみを比べることはできないと思います。個人がそういう考えを持って日々の生活に感謝することは大切ですが、悩んでいる人に克を入れるときにかける言葉ではないと思うのです。
また、大半の人が食に困っていない国でありながら、自殺は年間約3万人にのぼるほどの深刻な社会問題です。(更に遺書がないと自殺としてカウントされにくく、変死者15万人のうち過半数は自殺と言われています。)
先進国と呼ばれる我が国でも、生きることが耐え難くなるほどの精神的苦痛を味わった人がたくさんいるということです。
全ての人が幸せになれる社会は難しいのでしょうか…
それでも人生に選択肢があるかないかでは大きく違うことでしょう。
自分に出来ることは何か考えさせられる映画でした。
ちょうどそんな10日に、教育の大切さを訴えかけているマララ・ユサフザイさんがノーベル平和賞を受賞しましたね!!
受賞に関しては欧米に利用されているなどの批判もあるようですが、彼女の勇気ある行動が国際的に認められて素直に嬉しく思いました。
最後に、マララさんが大きく影響を受けたであろう教育熱心なお父様の演説が印象的だったので、紹介したいと思います。
http://www.ted.com/talks/ziauddin_yousafzai_my_daughter_malala/transcript?language=ja
最後まで読んで頂きありがとうございました\(^o^)/
台風シーズンもこれで終わりでしょうか。
これからどんどん冬に向かって寒くなっていきますね。
僕はこれまで暑いよりかは寒いほうがまだましだ。と思っていたのですが、
最近、この考えを覆す事件がありました…。
この夏、僕は友達とネパール、ブータンに渡航していたのですが
その時の山登りでの出来事です。
ガイドさんから「今回のトレッキングは初心者向けのハイキングみたいなものだから」と聞かされていたので、僕は気軽にいつもの服装(半そで半ズボン)に雨具だけ持って山に向かいました。
すると、、、思ったよりハード!集中豪雨!しかも、山頂寒すぎ!
さらに三重苦の僕に更なる試練が襲い掛かりました。そう、登山病です。
ガイドさんに改めて山頂の高度を聞くと4000m超だとか。
(先に言ってくれよ…)と怒る気力もうせるほどの震え、手足の冷たさ、頭痛…。
本当に凍え死ぬのでは??と感じた旅行になりました。
あ、申し遅れました。今回記事を担当いたします。
IDPCスタッフの中圓尾岳大(なかまるおたかひろ)と申します。よろしくお願いします^^
今回、僕が話したいこととブータン、実は少し関係あるのです。
そのための前振りでもあったのですが。
みなさん、ブータンという国名を聞いて何を思い浮かべますか?
雷竜、独特の伝統文化、豊かな自然、また最近有名になったキーワードでいえば、「幸せの国」などなど…。
イメージはなんとなくつきますが、実際いったことがある人は少ないのでは??
今回僕がブータンを旅行し、最も考えせられたキーワードは「宗教」です。
今回は「宗教」について未熟ではありますが、感じたことと考えたこと書かせていただこうとおもいます。
かといって別に重い話をするわけではないので(笑)
軽い気持ちで読んでいただけると嬉しいです。
ブータンで衝撃を受けた場面第一位は、仏僧の子供から老人までが、山奥の寺院で念仏を唱えながら一心不乱に五体投地で仏像に祈りをささげるシーンでした。
ガイドさんに聞けば、なんでも一定期間に10万回のお祈りを捧げ続ける修行なのだとか。そう言い終えたガイドさんも各寺院を回るごとに五体投地式のお祈りを仏像に捧げるのでした。
ご存知の方も多いとは思いますが、ブータンは世界で唯一チベット系仏教(正確にはドゥク・カギュ派)を国教としている国なのです。また、宗教を国全体が信仰し、生活に宗教文化が深く根付いているのです。
話はもどりまして、、、。
目の前でそのようなお祈りをされた僕はそれを何か「異様な」光景だと感じました。
未知の世界の威圧感に圧倒されたのです。
ブータンの人たちに宗教について聞いてみると、嬉しそうにその歴史や、物語、重要性を語ってくれます。ガイドさんによるとブータンの幸せの秘訣はお酒と、信仰だそうです。
みなさんは、どう感じますか?
なぜ、僕が「異様だ」と感じたのでしょう。これは決して文化の否定の感情ではありません。それは、僕がブータン国境の信者ではないからであり、究極には僕が無神論者であるからかもしれません。
無神論を信じる理由は多々あります。サルトルを中心とした実存主義が自分には合っていたり、カント哲学的に道徳は自律的なものだ(いわゆる地獄に落ちるから悪いことやめなさい論はただの利己主義)と思っていたり、その他古典的な神の証明の脆弱性を本を通して知ったり(存在論的証明、宇宙的証明など)(参考文献:精神の自由ということ≪アンドレ・コント=スポンヴィル≫)。
宗教は昔から、特定の地域に根付き、その地域の文化と密接に絡み合ってきました。
そういった面から、ある国を深く知る、また開発援助などでかかわっていこうとしたときに、宗教という要素は非常に重要になってきます。
少しイスラム教に話を移しましょう。
時代が流れるにつれて、女性の権利が徐々に認められ始め、男女平等の考えはグローバルスタンダードになりつつあります。…と、それはほんとでしょうか?
確かに1979年国際連合において、女性差別撤廃条約が可決され、採択されましたが、この条約は「まるで無数の穴の開いたチーズのようだ」と揶揄されるように、実に55か国もの主にイスラム教を国教とする国が留保しているのです。
もちろん、イスラム教にもそれなりの論理があり、それを調べるのもかなり面白いと思いますが、とにもかくにも、宗教を背景とした文化の対立が各国家間にある限り、グローバルスタンダードなるものが存在するのはかなり困難なようです。
イスラム圏の女性たちが、西欧的な女性の権利を求めてヴェールを脱ぐ、というのは最近よく聞く話ですが、逆に、イスラム的な倫理観に回帰する人たちも増えているんですね。なぜでしょうか。
その理由としていくつか挙げられるのは、①イスラムの教えに忠実に従うため②かぶって教えに忠実に生活することで、社会進出するため(イスラム女性の将来が開けるためにはこのステップを踏む人用があるのでしょうか)③服が少なくて済むから経済的にいい(…なるほど…!)
少し話はそれましたが大事なことは、時代によって、宗教離れ宗教回帰の流行はあるにせよ、宗教と人間社会は(たとえ無神論な人、国であっても)共存していく運命にあるということです。
ところで、あなたは自分の宗教をご存知ですか?先祖代々無宗教という家の方は少ないはずです。ちなみに僕は浄土真宗大谷派です。
宗派の教えの内容についてはどうでしょう?
知っている人はなかなか少ないのでは。
僕が最後にここでいいたいことはまさにこのことについてです。
今日の日本では、「宗教」というキーワードが一種のアンタッチャブルな領域に含まれてしまい、このことに興味を持つことは暗黙の了解のうちにタブー化されてしまいました。
理由としては、やはり宗教をスピリチュアルで半ば狂信的だと感じるからであることが挙げられると思います。
確かに宗教は各個人の信条の自由に関する事柄であり、ブータンの人にはブータンの幸せ、イスラムの人にはイスラムの幸せがあります。ゆえにセンシティブにならざるを得ません。
ですが、怖いものとして、顔を背けて逃げてはいけません。向き合うことが重要です。
なぜなら、世界を理解するうえでとっても大切なものだから。
世界の平和=お互いの価値観を理解し合うことは、あなたの一歩から始まりますよ!^^
なんか、かっこよく締まった…! のかな?
ありがとうございました。
次回の記事もお楽しみに!!
さて当blogをご覧の皆さん、本年のノーベル平和賞に日本の憲法9条がノミネートされていたことをご存じでしょうか?或いはノーベル平和賞に選ばれた方が良いと思っておられましたか?
今日はもし9条が本当にノーベル平和賞として選ばれていたらという仮定の下、この問題を国際政治学的に考えてみたいと思います。
安倍首相、そして自民党は9条を改正し、集団的自衛権を認めることによって自衛隊の役割を拡大しようとしています。特に集団的自衛権は連日新聞を賑わせる話題ともなっておりました。しかし、仮に9条がノーベル平和賞を受賞したとすると、安倍首相としてはこれを改正するわけにはいかないでしょう。
ともすれば、改正しようとした自民党に対し多くの国家が反対の姿勢を示す結果にもなったかもしれません。そして結果的には、安倍首相の構想にあった日本の国防政策を変えざるを得ない結果となっていたでしょう。
今回の話は、僕の大学での教授の議論に沿った話ではあるのですが、ノーベル平和賞に選ばれることはもちろん、良いことに違いありません。しかしながら、それが日本の政治的立ち位置をも動かしかねないということを再認識する案件でした。
季節は秋。
夜はもちろん、昼間でさえも肌寒く感じる季節になってきましたね…。
皆さんいかがお過ごしでしょうか??
IDPCスタッフは日々第6回プランニングコンテストに向けて、準備をせかせかと進めています。
「ん?コンテストって何の話じゃ??」
…まさか、そんな人いませんよね??
(ホームページよりブログを先に見る人なんていないはず…)
…はい、そうなんです!
もう一度ブログでも告知しておくと、
今年もIDPCでは国際開発に興味のあるみなさんを対象に、年に一度のビックイベント、国際開発プランニングコンテストを開催します!!
↓ 詳細を確認したい方は下記のURLから確認してください。↓
http://idpc.blog.shinobi.jp/
スタッフ一同、みなさんのご応募を心よりお待ちしております!
コンテストに際しまして、当ブログに関しましてもどんどん加速していこうと考えています。
近頃、更新が滞っていましたが、今後は週に一度のペースで、スタッフが常日頃感じ考えていることをみなさんと共有していきたいと思います。
さてさて、さてさて記念すべき本格始動第一回目の記事担当者は、誰なのでしょうね?
この後、続けて投稿いたします!
ブログ担当:中圓尾岳大(なかまるお たかひろ)