こんばんは!
関西メンバーの上野です(^o^)
本日は二本立てでお送りします!^^
・活動報告
・今週の徒然~紛争編~
まずは昨日行われたミーティングの内容から^^
関西ミーティングでは、引き続き11月30日のワークショップについて話し合いました!
今回はワークショップで扱う国について、各自調べてきた情報をシェア。
徐々に取り上げるトピックが決まりつつあります。お楽しみに!
全体ミーティングでは、2月に4日間かけて行われるコンテストについて。
今みんなでコンテンツの案を出し合っているんですが、おもしろそうなアイデアばかり^o^
例年以上に充実した内容になるよう、スタッフ一同頭をひねっております!
詳しい内容がお伝えできないのが残念です;;
気になる方はぜひワークショップやコンテストにご参加ください!^^
それでは次に徒然を。
みなさんは「東ティモール」という国をご存知ですか?
オーストラリアの北方、インドネシアに国境を接する小さな島国です。
先日とある授業で、この国に関するビデオを見る機会がありました。
あるインドネシア人の駆け出しジャーナリストが、東ティモールの紛争を、その死の間際まで記録する映像。
長年紛争の中にあった東ティモールは、1999年、国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放され、独立の道を勝ち獲ります。
しかしこの住民投票の直後、結果に不満を持ったインドネシア国軍、インドネシアに加担する国内の民兵たちが暴動を起こし、次々に住民たちを虐殺していきます。
国連スタッフたちは撤退し、一人残ったこのジャーナリストは懸命に取材を続けますが、最後は乗っていた車を襲われ、亡くなってしまいます。
最終的には多国籍軍が到着し事態を鎮圧しますが、その頃にはすでに多くの命が失われていました。
この映像の中では、多くの涙が流されます。
父を殺された家族の涙、ジャーナリストの彼を失ったフィアンセの涙。
その中でも、特に印象に残った涙がありました。
それはまだ暴動が起こる前、住民投票直後に独立が決まったそのときに、ある独立派の兵士が流した涙です。
投票結果がわかった瞬間、兵士たちは歓喜の雄叫びを上げ、踊り狂い、空に向けて何発もの銃声を轟かせます。
そうやってほとんどの人々が体中から喜びをほとばしらせる一方で、静かに涙を流す人たちの存在がありました。
それはきっと嬉し涙だったと思います。
しかし、小さく嗚咽を漏らしながら涙を拭うある兵士の顔からは、もっと深淵で、もっと複雑な何かを感じました。
50代くらいのおじさんでした。
彼は昔戦場で、兵士の仲間たちを失ったのかもしれない。
長い紛争の中で家族を、友達を殺されたのかもしれない。
たった今手にした独立という喜びに至るまでに、おじさんは余りにも多くの哀しみを乗り越えてきたんだと思います。
その涙には、東ティモールが長きにわたって経験してきたこの紛争が凝縮されているように感じました。
ポルトガルによる植民地支配、インドネシアによる占領、冷戦構造下でのアメリカのインドネシア支持、国連による住民投票、そして独立。
この紛争の原因は何だったのか?悪いのは誰?正しいのは?
余りにも複雑で、一言では説明できない。
世界中で今も止むことのない紛争。
ニュースでそれらを目にするとき、メディアがそれを語るとき、私たちは「この紛争の原因はこうだろう、悪いのはあの人たちで、被害者はこの人たちだな」と思い込んでいないでしょうか?
紛争って、本当にそんなに単純なものなんでしょうか?
最後に、本文の核心とは少しずれますが、最近ネットで見つけておもしろいなと思った画像があったので紹介します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^ ^)
うえの